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巌流島の決闘

巌流島空撮写真

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたとされる巌流島(がんりゅうじま)は正式名称を「船島」(ふなしま)といいます。「厳流」(「岩流」とも)を名乗っていた小次郎が決闘に敗れ、この島に残されたことから巌流島と呼ばれるようになりました。
2003年、公園として整備される際に宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像が建立されましたが、決闘の伝説と同じく、小次郎像が2002年12月に、武蔵像は遅れて2003年4月に建立されました。
5月のゴールデンウィークに開催される「しものせき海峡まつり」では、巌流島フェスティバルとして、コンサートや宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の観光寸劇など、多彩なイベントが行われています。

壇之浦の戦い

関門橋と先帝祭

壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、平安時代末期の1185年4月25日、長門国赤間関壇ノ浦(現山口県下関市)で行われた戦闘であり、栄華を誇った平家が滅亡に至ることとなった治承・寿永の乱の最後の戦いです。
この戦いで関門海峡に入水した安徳天皇をしのぶ「先帝祭」が御命日の5月2日から4日まで赤間神宮で執り行われます。
落人となった平家の女官が毎年命日に身形を整え参拝したという言い伝えによる絢爛豪華な「上臈(じょうろう)道中・参拝」は圧巻です。